Хикосиро Харуйуки Хирата / 平田彦四郎 был эмальерным мастером в десятом колене
初代 道仁(どうにん) 彦四郎 (1591-1646, 京都・駿河府中・江戸住)
二代 就一(なりかず) 彦四郎 (?-1648/52, 駿河府中住)
三代 就久(なりひさ) 彦四郎 (1616-1671)
四代 重賢(しげかた) 彦四郎 (1663-1714、後に本常と号す)
五代 就門(なりかど) 彦四郎 (1670-1757、後に本常と号す、江戸湯島住、この後一般彫金も行う)
菅 長厚(すが ながあつ) (?-1723, 就門の弟子、弟子としてただ一人七宝技術を伝授される、江戸浄瑠璃坂住)
六代 就行(なりゆき) 市蔵 (1718-1770、久蔵・彦四郎とも号す)
七代 就亮(なりすけ) 市蔵 (1765-1816)
八代 春就(はるなり) 友吉 (?-1840)
春寛(はるひろ) (中村家(中村弥兵衛)、春就の弟子、加賀大聖寺住)
春将(はるまさ) 七兵衛(大塚家、春就の弟子、柳島軒と号す)
春次(はるつぐ) 七兵衛(大塚家、春就の弟子)
春寿(はるとし) (内野家、春就の弟子、一元子と号す)
九代 就将(なりまさ) 良蔵・彦乗(?-1858, りょうぞう・げんじょう)
十代 春行(はるゆき) 彦四郎 (1839-1895)
初代 道仁(どうにん) 彦四郎 (1591-1646, 京都・駿河府中・江戸住)
二代 就一(なりかず) 彦四郎 (?-1648/52, 駿河府中住)
三代 就久(なりひさ) 彦四郎 (1616-1671)
四代 重賢(しげかた) 彦四郎 (1663-1714、後に本常と号す)
五代 就門(なりかど) 彦四郎 (1670-1757、後に本常と号す、江戸湯島住、この後一般彫金も行う)
菅 長厚(すが ながあつ) (?-1723, 就門の弟子、弟子としてただ一人七宝技術を伝授される、江戸浄瑠璃坂住)
六代 就行(なりゆき) 市蔵 (1718-1770、久蔵・彦四郎とも号す)
七代 就亮(なりすけ) 市蔵 (1765-1816)
八代 春就(はるなり) 友吉 (?-1840)
春寛(はるひろ) (中村家(中村弥兵衛)、春就の弟子、加賀大聖寺住)
春将(はるまさ) 七兵衛(大塚家、春就の弟子、柳島軒と号す)
春次(はるつぐ) 七兵衛(大塚家、春就の弟子)
春寿(はるとし) (内野家、春就の弟子、一元子と号す)
九代 就将(なりまさ) 良蔵・彦乗(?-1858, りょうぞう・げんじょう)
十代 春行(はるゆき) 彦四郎 (1839-1895)
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